平成13年(ワ)第2870号、平成14年(ワ)第385号損害賠償請求事件
原 告 ○ ○ ○ 外62名
被 告 小 泉 純一郎 外1名
準備書面(原告ら第2回)
2002年11月14日
千葉地方裁判所
民事第5部合議B係 御 中
原告ら訴訟代理人 弁護士 21名
第1 本件参拝
被告小泉のなした本件靖国神社参拝は、以下のとおり、被告小泉が内閣総理大臣として、その職務としてなされた参拝である。
1 本件参拝の状況
(1) 被告小泉は、内閣総理大臣という国の機関である。
(2) 被告小泉は、2001年(平成13年)8月13日午後4時すぎ、靖国神社に参拝した 。その際、被告小泉は福田官房長官及び総理大臣秘書官を同行している 。被告小泉の単なる私的行為であれば、福田官房長官や総理大臣秘書官らが同行するはずもない。更に、被告小泉らは、この参拝には公用車を利用し、且つ、警視庁派遣のSPが警護のため同行している。
(3) 被告小泉は、「靖国神社参集所において『内閣総理大臣小泉純一郎』と記帳し、一対の献花に『献花 内閣総理大臣小泉純一郎』との名札を付し」(被告小泉の答弁書 第4・6)て、献花した。被告小泉は、記帳や献花で、私人名である小泉純一郎と記載せずに、公的地位を称する内閣総理大臣小泉純一郎と記載した。
(4) 被告小泉は、靖国神社の神職に案内され、秘書官やSPらを従えて、靖国神社の本殿に進んだ。これも、一私人には考えられない処遇であり、公人である『 内閣総理大臣小泉純一郎』だからこその案内であり、警護である。
(5) 被告小泉の本件参拝には、国内外の多数の新聞、テレビ等の報道機関が同行し、取材し、写真やビデオを介して、国内外に、ニュースとして報道されている。また、報道各社の「小泉首相の日程」欄やコーナーでも本件靖国参拝は、被告小泉の公人としての「内閣総理大臣としての公的日程」の中身として、それぞれ報道された。
2 被告小泉の「本件参拝」に関する説明
(1) 被告小泉は、本件参拝後の公式記者会見で「公的とか私的とか私はこだわりません。総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した」と述べている。(答弁書 第4・1、同6)。ここでも、被告小泉は「本件参拝は公的なものではなく、一私人としての私的参拝である」と職務行為を否定することは一切していなかった。
(2) 被告小泉の考え方は、2001年(平成13年)8月13日「小泉内閣総理大臣の談話」(被告国の答弁書添付)において、明確に述べられている。
@ これは福田官房長官が本件参拝に先立って、被告国の答弁書添付の「小泉内閣総理大臣の談話」として発表したものであり、被告小泉の諸外国や国民に対する本件参拝に関する公式見解として述べたものである。
そもそも、被告小泉が、靖国神社参拝に際して、国内外や国民に対する公式見解として、内閣官房を通じて「小泉内閣総理大臣の談話」なるものを発表すること自体、本件参拝が被告小泉の「内閣総理大臣としての職務たる参拝」である事実を明らかにしている。
A 被告小泉は、その中で、自己の「信念」や「真情」に基いて「総理として一旦行った発言」として、「総理大臣就任後も、8月15日に靖国参拝をしたい旨を表明してきた」のであるが、「終戦記念日が近づくにつれて、内外で私の靖国参拝是非論が声高に交わされ」、「国内のみならず国外からも、参拝自体の中止を求める声があり」、「国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせる」ところとなり、「このような国内外の状況を真摯に受け止め、「同日(8月15日)の参拝は差し控え、日を選んで参拝する」ことにしたと言う。
B こうして、被告小泉は、諸外国に影響を与えるなどして、反対の声があがってきたため、従前からの「8月15日に靖国参拝をしたい」という「表明」を撤回して、「自分の判断」として、2001年(平成13年)8月13日に本件靖国神社参拝を遂行したのである。
C 被告小泉は、この日程変更についても、「総理大臣就任後も、8月15日に靖国参拝をしたい旨を表明してきた」ところの「総理大臣として一旦行った発言を撤回」するものであったために、「慚愧の念に耐えない」日程変更であった。
被告小泉の「小泉内閣総理大臣の談話」に照らして見れば、被告小泉は「総理大臣として」という国の機関の立場で、自己の信念として「総理大臣就任後も、8月15日に靖国参拝をしたいと表明し発言し」実践しようとしてきたこと、日程の変更があったものの本件参拝も、その意思に沿ってなされたことは明らかであると言える。
D 結局、被告小泉は、本件参拝によって、内閣総理大臣として、「幅広い国益を踏まえ、一身を投げ出して内閣総理大臣としての職責を果たし、諸問題の解決にあたらなければならない立場にあり」ながら、「中国や韓国」等の「国内のみならず国外からも、参拝自体の中止を求める声」に反し、「国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせる」ところとなり、日本の国益を大きく損なうこととなった。被告小泉が「できるだけ早い機会に、中国や韓国の要路の方々と膝を交えて、アジア・太平洋の未来の平和と発展についての意見を交換するとともに、先の述べた私の信念(内閣総理大臣としての靖国神社参拝に関する被告小泉の考え)についてもお話し(すべき)」と述べるとおり、本件参拝をめぐっては諸外国との国交上の重大な政治問題まで発展した。
E 以上のとおり、被告小泉のなした、記者会見での見解や「小泉内閣総理大臣の談話」に照らして見ても、被告小泉のなした本件参拝が、内閣総理大臣たる国の機関としての公的地位に基づくものであったことは明らかである。
(3) 被告小泉は、答弁書において「靖国神社に参拝したのは、自然人たる小泉に認められた信教の自由の実現である」(答弁書第2の2)とか、「 本件参拝は内閣総理大臣の職務として行われたものではない」(答弁書第4の4、同7、同8)、「内閣総理大臣としての職務として行ったものではない 」(答弁書第5の1)といい、「被告小泉の有する・…信教の自由」(答弁書第5の3)云々と主張する。
被告小泉の答弁書における主張が正当なものであるなら、本件参拝に先立って発表された「小泉内閣総理大臣の談話」の中において、その旨が明確に述べられるべきものであった。ところが同談話では、被告小泉が答弁書で主張しているような、「靖国神社に参拝したのは、自然人たる小泉に認められた信教の自由の実現である」、「本件参拝は内閣総理大臣の職務として行われたものではない」、「内閣総理大臣としての職務として行ったものではない」、「被告小泉の有する信教の自由」などということは、一切述べられていない。被告小泉が、公の場で、報道機関を通じて、国内外の人々に対し、 同旨のような弁明をした事実も一切ない。
これらの点を見ても、被告小泉の答弁書における主張は、本件訴訟が提起された結果、自己の責任を回避しようとしての言い逃れ、弁解であることは明白である。被告小泉の本件裁判における「小泉内閣総理大臣の談話」と全く異なる主張は、諸外国や国民を愚弄し、欺瞞するものと言わざるを得ない。
3 本件参拝に至る経緯
(1) 被告小泉は、前記「小泉内閣総理大臣の談話」の中で、「総理大臣就任後も、8月15日に靖国参拝をしたい旨を表明してきた」こと、「終戦記念日が近づくにつれて、内外で私の靖国参拝是非論が声高に交わされ」て、「国内のみならず国外からも、参拝自体の中止を求める声があり」、「国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせる」ところとなり、「このような国内外の状況を真摯に受け止め、同日(8月15日)の参拝は差し控え、日を選んで参拝する」ことにしたという本件参拝に至る経緯を、概略述べている。
その経緯の詳細は、以下のとおりであるが、被告小泉の靖国神社参拝が、被告小泉もいうように「内外で私の靖国参拝是非論が声高に交わされ」たり、「国内のみならず国外からも、参拝自体の中止を求める声があがり」、自民党・公明党等の与党内部や閣僚からも、被告小泉の靖国神社参拝反対が表明され、「国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせる」という日本の重大な国益問題に発展したため、政府部内で討議して日程変更したという経緯こそが、まさしく、本件参拝が、内閣総理大臣たる国の機関としての公的地位と密接な関係を有していた事実を明らかにしているのである。
(2) 被告小泉は、2001年(平成13年)5月14日の衆院予算委員会で「首相に就任しても(靖国神社に)参拝するつもりだ。公式か非公式かという違いは、いまだに分からない。どういう批判があろうとも、この気持ちは宗教とは関係がない」(2001年5月15日朝日新聞)と答弁している。
これは、被告小泉が「総理として一旦行った発言」(被告小泉の2001年8月13日内閣総理大臣の談話)として認めたとおりの内閣総理大臣としての地位に基づく発言であった。
(3) 2001年(平成13年)5月17日、「中国外務省の王毅次官は阿南駐中国日本大使を中国外務省に呼び、『両国関係が直面している重大な問題を慎重に処理するように厳粛に要求する』、『(中国)人民の警戒心を呼び起こさずにはいられない。日本の指導者の参拝への対応は、日本政府の過去の侵略の歴史に対する態度を試す試金石だ」と強調した」(2001年5月18日朝日新聞)。
2001年(平成13年)5月28日、「中国の江沢民国家主席は、訪中した韓国の与党代表団と会見し、小泉純一郎首相が靖国神社参拝の意向を表明していることについて、『首相の参拝が軍国主義者の魂を追悼する行為ということを見逃している』と述べた」(2001年5月29日朝日新聞)。
2001年(平成13年)6月21日、「中国の江沢民国家主席は韓国の李漢東首相に『政治的指導者たちの靖国神社参拝にアジアの正義感を持った人々が必ず反対するだろう』と小泉首相の靖国神社参拝に反発を示した」(2001年6月22日朝日新聞)。
(4) 2001年(平成13年)6月25日の参院決算委員会において、「首相参拝の憲法違反の可能性をただされると、『二度と戦争を起こしてはならないという気持ちで参拝することが憲法違反だとは毛頭思っていない』と反論。『公式が非公式か言う必要はない。総理大臣小泉純一郎が参拝する、それだけだ。独自に参拝するもので、それ以上とやかく言われる筋合いはない』と述べ、終戦記念日に参拝する意思に変わりはないことを強調した」(2001年6月26日朝日新聞)
(5) 2001年(平成13年)7月4日、「日中友好協会、日中文化交流協会など5つの親善団体の理事長らが首相官邸に福田官房長官を訪ね、小泉首相が靖国神社に参拝しないよう求める要望書を提出した。要望では、近隣諸国の国民感情に配慮して、A級戦犯を合祀している靖国神社への参拝を差し控えるとした、86年当時の後藤田正晴官房長官(当時)の談話を堅持してほしい、としている」(2001年7月5日朝日新聞)
(6) 2001年(平成13年)7月10日、中国の唐家旋外相は、訪中した自民、公明、保守党の3幹事長に「A級戦犯が合祀されている靖国神社に日本の指導者が参拝することは受け入れられない」と述べ、江沢民主席は「歴史問題はきちんと対処すべきだ。火をつけると大きな波風が起こる可能性があると、日本の歴史教科書問題や小泉首相の靖国神社参拝問題への強い懸念を表明した」(2001年7月11日朝日新聞)。
中国政府の要人らから、被告小泉の靖国参拝に対する、強い反対意見が表明されるに至り、日中間の外交問題にまで発展していった。
(7) 2001年(平成13年)7月11日、小泉首相は中国から帰国した与党幹事長と会談し「首相の靖国神社参拝について『中国の反応が厳しい』との報告に対し、首相は『熟慮してみる』と答えた」(2001年7月12日朝日新聞)。
被告小泉の靖国参拝は、政府与党内部でも、それの国内外への影響が強く懸念されるようになった。
(8) 2001年(平成13年)7月26日、田中真紀子外相は「首相というポストの人が、なぜあえて行くのか、行かないでいただきたいと首相の参拝に反対する姿勢を明確にした」(2001年7月27日朝日新聞)。
2001年(平成13年)7月30日、公明党神崎代表は記者会見で「小泉首相の靖国神社参拝について、『憲法上の問題があり、近隣諸国の国民感情を刺激する。公私を問わず、8月15日に参拝することは好ましくない』と語り、私的参拝の形式でも反対の考えを示した。これに対して小泉首相は同日昼、『虚心坦懐に小泉内閣を支える最高幹部の意見を聞いたうえで、熟慮して判断したい』と記者団に語った。自民党の野中広務元幹事長も同日、『靖国(神社)の歴史を検証した上で慎重な対応をしてほしい』と記者団に語った」(2001年7月30日朝日新聞夕刊)。
同日、被告小泉は、参院選後の記者会見で「終戦記念日の靖国神社参拝については『基本方針として参拝する意向を持っている』と改めて強調。ただ、『与党三党の方々の意見を虚心坦懐にうかがって、熟慮して判断したい』とも述べた」(2001年7月31日朝日新聞)。
被告小泉の靖国参拝について、閣僚や政府与党からも、反対の意見が表明された。しかし、被告小泉は、「8月15日に靖国神社に参拝する」旨を繰り返して表明し続けた。
(9) 2001年(平成13年)8月2日、中国の唐家旋外相は、訪中した自民党の野中元幹事長らに「長い間、日中関係を築いてきただけに、公式参拝となれば、来年の日中国交正常化30周年という節目をより友好親善の足がかりとしたいと考えてきたことが、大きく崩れることになりはしないか」と語り、懸念を伝えた(2001年8月3日朝日新聞)。
中国要人は、重ねて、「被告小泉の参拝反対」を表明し、申し入れた。
これを踏まえて、2001年(平成13年)8月6日、野中元幹事長は「一国の総理なので、これからアジア各国や欧米諸国ともトップとして交流していかねばならない。」と指摘した上で「ぜひ大局観と日本の将来のあり方を考えていただきたい」と述べ、首相に慎重な対応を求めた(2001年8月7日朝日新聞)。
(10) 2001年(平成13年)8月10日夜、被告小泉の靖国参拝の日程について「中国、韓国などから再考を求める声が予想以上に強く、国内でも慎重論が広がったため、15日に強行すれば政権運営に支障が出るという判断から」「終戦記念日の8月15日以外にずらす案が、政府内で浮上した」(2001年8月11日朝日新聞)。
被告小泉が、それまで公に \明」していた8月15日靖国参拝について、その日程変更が、自民党や政府内で、再検討すべき事態へとたち至った。
(11) その結果、被告小泉は、それまで公に表明していた8月15日靖国参拝を断念して、本件の8月13日の靖国神社参拝を決断した。
そして、「福田官房長官が本件参拝に先立って、被告国の答弁書添付の『小泉内閣総理大臣の談話』を発表した」(答弁書第4・3)。
(12) 「参拝後、被告小泉が中華人民共和国及び大韓民国の各要人と会談した」(答弁書第4・3)が、その経緯は、以下のとおりである。
被告小泉は、2001年(平成13年)10月8日、中国の江沢民主席、朱鎔基首相と会談し、江主席は被告小泉に「靖国神社にはA級戦犯がまつられている。日本の指導者が参拝すればこれは複雑な結果になる」と指摘され、来年以降の首相の参拝に強い懸念を示し、「日本の指導者が参拝すれば重大な問題となる。アジアの人民は日本が同じ道を繰り返し踏むかととても警戒している」と語った(2001年10月9日朝日新聞)。
被告小泉は、2001年(平成13年)10月15日、韓国の金大中大統領と会談し、金大統領から「A級戦犯の合祀が問題であり、善処するように切に期待する」(2001年10月16日朝日新聞)と言われ、同20日にも上海で「内外の人がわだかまりなく平和を祈念できる場の検討を重ねて要請された」(2001年10月20日朝日新聞夕刊)のである。
(13) 以上の経緯を見ても、本件参拝が、内閣総理大臣たる国の機関としての公的地位に密接に関わる行為として国の内外から注目されていたものであることは明白である。
ために、被告小泉は、「本件参拝」により、自ら認めたとおり「中国や韓国」の「国外からも、参拝自体の中止を求める声があり」、「国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせる」などして、重大な外交問題を惹起したのである。
さらに、田中外相(当時)が「参拝し終わってから中国、韓国に説明するのは逆だ。行くべきではない、という国々のかたがたの心の痛みを考えてほしい。日中国交回復から30年たつ中で、父を含め先人がどれだけ苦労したか。8月15日まであと二週間あるので、よくよく考えてほしい」と述べ(2001年7月31日朝日新聞)るなど、閣僚や自民党内の反対意見が述べられていた。 にもかかわらず、被告小泉は、このような国内の世論、閣僚や与党内の反対意見はもとより、これらの諸外国要人らの警告や懸念すらも踏みにじり、日程を変更しただけで、本件参拝を強行して、日本の国益を大きく損うこととなったのである。これはまさに、総理大臣としての行為が問われることに他ならない。
第2 被告小泉の主張の不合理性
1 被告小泉は、「本訴は、自然人たる被告小泉の信教の自由を侵害する違法行為であり、訴権の濫用である」と主張する。しかし、いかなる理由によって「被告小泉の信教の自由を侵害している」というのか、「違法」であるというのか、
「訴権濫用」であるというのか、被告小泉の主張を見ても、具体性が全くない。
被告小泉の主張部分は、それ自体が失当であって、 原告らには、被告小泉のいう「自然人たる被告小泉の信教の自由を侵害する」というその意味自体が、到底、理解し難い。
2 原告らが、本件で問題にしているのは、被告小泉がなした2001年8月13日という、従前より表明していた8月15日参拝の日程を変更して、その2日前に「内閣総理大臣小泉純一郎」として、一宗教法人である靖国神社を参拝したという行為である。
原告らが、本訴で、被告小泉が私人たる小泉純一郎個人の立場において、日常生活上で、特定の宗教を信仰したり、家庭内に特定宗教の事物を祀り、これらを崇拝し、特定の宗教的教義や儀式に則って家族等の祭祀、祭事等を主催しているかどうかについては何らも問題にしておらず、争っていない。
従って、被告小泉の「自然人たる被告小泉の信教の自由を侵害する」という主張は、原告らが主張している「本件参拝は、被告小泉の内閣総理大臣たる職務行為である」という点についての答弁や認否を回避し、論点をすり替えようとする欺瞞的主張に他ならない。
3 被告小泉は、内閣総理大臣であり、その職務は憲法で法定されている。そして憲法は、政教分離の原則を定めるから、公務員たる内閣総理大臣について法定された職務行為の中に、「特定宗教への参拝」がそもそも存在しないことも言うまでもない。
被告小泉が主張する「本件参拝は、内閣総理大臣の職務として行われたものではない」という場合の「職務」が、法定の内閣総理大臣の職務行為を指すとすれば、被告小泉が主張するまでもない当然のことである。
被告小泉は、内閣総理大臣の法定の職務行為以外に、内閣総理大臣としての地位に基いて、各種の行為をなしていることも指摘するまでもないところである。前述したように被告小泉は、前記「小泉内閣総理大臣の談話」で、明確に、「総理大臣就任後も、8月15日に靖国参拝をしたい旨を表明してきた」こと、「このような国内外の状況を真摯に受け止め、「同日(8月15日)の参拝は差し控え、日を選んで参拝する」ことにしたが、これは「総理大臣として一旦行った発言を撤回する」ものであり「慚愧の念に耐えない」と述べている。すなわち、被告小泉は、「総理大臣として8月15日に靖国参拝をしたい旨を表明してきた」ことや、「8月15日の参拝は差し控え、日を選んで参拝する(本件参拝のこと)」ことを、明確に認めているのである。
このように被告小泉が、自ら、繰り返して、公の場で「8月15日に靖国神社を参拝する」と表明してきたこと自体、これが、内閣総理大臣としての職務としての行為であることを認めているといえる。
反対に、被告小泉は、小泉純一郎個人の立場で行っているであろう家族等の宗教的祭事(冠婚葬祭や法事)について、これまで、その A宗教名、宗教的儀式の内容、参加の仕方 凾A公の場で表明したことは一切ない。被告小泉自身が、本件参拝のような職務としての行為と自己の個人的な信教の自由の行使とは、明確に区別しているのである。
4 被告小泉のいうとおり {件参拝は、自然人たる被告小泉の信教の自由の実現である」、「内閣総理大臣としての公的行為でない」とすれば、そもそも、被告小泉が前述の「小泉内閣総理大臣の談話」で述べたように、「終戦記念日が近づくにつれて、内外で私の靖国参拝是非論が声高に交わされ」て、「国内のみならず国外からも、参拝自体の中止を求める声があり」、「国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせる」ところとなり、「このような国内外の状況を真摯に受け止め、「同日(8月15日)の参拝は差し控え、日を選んで参拝する」ことになるはずもない。
いわんや、被告小泉が「できるだけ早い機会に、中国や韓国の要路の方々と膝を交えて、アジア・太平洋の未来の平和と発展についての意見を交換するとともに、先の述べた私の信念(内閣総理大臣としての靖国神社参拝に関する被告小泉の考え)についてもお話し」すべき必要性も、「国民各位におかれては、私の真情を、ご理解賜りますように切にお願い申し上げます」と理解を求める必要性もないであろう。
5 被告小泉は、これまで公の場で、被告小泉の答弁書にあるような「靖国神社に参拝したのは、自然人たる小泉に認められた信教の自由の実現である」、「本件参拝は内閣総理大臣の職務として行われたものではない」、「内閣総理大臣としての職務として行ったものではない」、「被告小泉の有する信教の自由の侵害である」等の主張をした事実は、一度もないのである。
以上のとおり、被告小泉のこれまでの言動、行動に照らして見ても、本件参拝が、被告小泉の内閣総理大臣としての地位に基づく職務行為であることは明らかである。更に、被告小泉の主張の不合理さを見ても、原告らの本訴が訴権の濫用に該当しないことも明らかである。
以 上
第3回口頭弁論で被告小泉らが、「公権力の行使に当たる公務員の職務行為について、公務員個人は賠償責任を負わない(最高裁昭和53年10月20日第二小法廷判決・民集32巻7号1367ぺ一ジ等)ものとされているから、これにより、原告らの小泉に対する各請求は主張自体失当ということになる。」との主張に対し、第4回口頭弁論において原告側が反論のため提出したものである。